道元禅師の自己をならう
2012年3月
今年初めから体調を壊し、痛みや体の不自由さを味わい、動けぬ身をイライラさせ、家族やスタッフに依存しながら思わぬ副産物わ得ました。
仏教書や聖書の中に私の日常の生きる姿勢や心構えについて、煌きのような短い言葉で"ハッ"とさせられる事がございました。
道元禅師五十四歳入滅に際しての弟子たちに残された"八大人覚"でした。
- 少欲 少しの欲(目標)を持って生きよと言われるのです。
私は欲を少なくせよと解釈していましたが、実は目標を定めて生きよと言う事なのです。
- 知足 「文字通り足る」を知るなのですが、今ある今与えられていることを認めよと言われるのです。
過去でも未来でもできていないことではなく、今ここの足るを知ることなのです。
- 楽寂情(じょうじゃくじょう) 一日の中で静かなしみじみとした時を待てと言われるのです。
只一時十八をみつめ過ごすことで大切なものが見えてきます。
- 勤精進(ごんしょうじん) 日々刻々と自己を高め、コツコツと精進しなさいと言うこと。
日常行動こそ"自己を習う"です。
- 不妄念 ああでもないこうでもないと「うすら言」を思い、心を奪われるなと言われる。
迷いは妄念です。
- 修禅定(しゅうぜんじょう) 坐禅して(瞑想して)宇宙の真理を悟りなさいと言われるのです。
- 修知恵(しゅうちえ) どのような仕事や出来事にも知恵を働かせて、希望にむかって道を拓いていけと言われるのです。
- 不戯論(ふけろん) 自分にとっても人にとっても無益な事を言い争ったり議論したりするなと言われるのです。
体が病んでいると心までが乱れロクでもない事を考えたり反感を持ったりしました。あまりにも脆弱な自分に自分に出会ってマゴマゴ致しましたが、道元禅師の"自己を習う"即ちに日々"自己を修練せよ"と言う声が身に沁みてきたのです。
ここ伏見区久我の地は、曹洞宗開租道元禅師生誕の地でもあるのです。
宇治木幡が育成の地と言われています。ありがたい事です。
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